六ツ美のあの肉

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第4回「処理技術の進歩、そして業界の変化」

COLUMN

 私が入社した頃にはミゼットに籠を積んで鶏を集め、首を切った鶏を円錐型の器具に頭から入れて血抜きをし、大きな「ハソリ」で湯漬けをしてドラムピッカーで羽を落としていた。
ドラムピッカーというのは円筒形の器具で、内側にゴムが付いている。その器具が回転している中に湯漬けして毛穴を開かせた鶏を入れると毛が抜け、器具内に注入される水と共に抜けた毛が排出される仕組みになっていた。
ドラムピッカーではどうしても毛が抜けずに残ってしまう為、人の手で丁寧に取り除く。
毛を抜いた「とたい」は、水槽に入れて井戸水で冷やし、2㎡ 程の机にステン板を貼ったテーブルに積み上げて、6~8人で解体作業を行った。内臓は、別のテーブルの上で部位毎に取り分ける。
熟練した職人たちの作業は正確かつ手早かったが、それでも時間はかかっていた。

平成元年に新しい工場を作った時、トラックから下ろした鶏をチェーンに引っ掛けてベルトコンベアのように移動させながら放血させる工程を導入した。更に平成8年には工場を改修し処理ラインを導入。と殺放血、湯漬け、脱羽、冷却の設備が整い、肉処理では、骨肉分離機「トリダス」の導入により、モモ肉の脱骨作業が著しく効率化された。
「トリダス」は画期的な機械だ。モモの肉を包丁で骨から外す作業は、かなりの手間がかかる。
しかし「トリダス」を使えば、あっという間に骨が外れてしまう。1台で4~5人分の仕事をしてしまうのだ。
ブロイラーと違って親鶏は大きさが一定ではないために作業を機械化しにくく、この機械が登場したことは大きな驚きと喜びがあった。
こうした設備の進化と作業工程の改善により、ライン上で部位ごとに取り分け、最後に残る胴ガラも製品として出荷している。1羽の親鶏をできる限り無駄なく活用することも、私達の大切な仕事である。

 

昭和35年頃からアメリカからブロイラーが普及し、鶏肉の主流となっていった。それに伴い、親鶏を家庭向けに販売する機会(消費者への直販の流れ)がなくなり、親鶏は主に食品加工メーカー向けの原料として使われるようになっていった。小規模の親鶏の処理場は減少していき、専門的に大規模化された処理場で、沢山のまとまった鶏を処理するようになった。
現在スーパーでよく見かけるムネ肉、モモ肉、ササミ、手羽などは、主にブロイラーである。一方、親鶏は麻婆豆腐の原料やカップ麺の具材、肉団子等、いろんな加工食品の材料となっている。親鶏そのものを目にする機会が少なくなり、その特徴や美味しさを知る人も限られるようになった。
創業当初の手作業から、現在の大規模な処理ラインへ。工場も設備も大きく変わったが、親鶏を丁寧に扱う手仕事と、製品に仕上げる姿勢は変わらない。
私がこれからも伝えていきたいのは、加工原料として使われることの多い親鶏だが、その美味しさや味わいの魅力を、もっと多くの若い世代にも知っていただきたい。
これからも、親鶏に関わる魅力を次の世代へ伝えていきたいと思っている。